せぼねとて

絵の事とかそれ以外のこととか。

2021/05/20-絵を壁に

 随分前のことになる、僕の絵画は汚れたイーゼルの上でほとんど誰にも見られないですぐ壁に向けて乾かして家に持ち帰るだけが始まった。

 絵を描き始めた時は自分が絵を描くということだけで嬉しかったのを覚えている。イーゼルの上に置いて離れて自分が描いた絵を見ているだけで幸せな気持ちになっていた。でもそれは高校三年生までだったかな。徐々に当たり前になって行くからか、それとも自分の絵の悪いところばかり見るようになったからか自分の描いた絵を鑑賞することもなくなった気がする。

 

 絵の点数もサイズも自由だって。壁に釘打って鑑賞してもらう準備をする。インパクトドライバーでネジを打ち込む人の音、それぞれの絵を見て感想を言い合う同級生の声、まだ出来上がっていない絵をギリギリまで描く筆の音。自分は申し訳ない感じでネジをハンマーで打ち込んでいた。騒音を撒き散らしていたけど内心すごく楽しかった。展示に向けて準備する時間。絵を描くための準備は今までしたことがあったけど絵を見てもらう準備ってなんだ。この高揚感は。僕はサイズがバラバラな20点の絵と一つ小さいインタスタレーション的な物を設置した。

 僕が中学生の頃だったろうか、美術の教科書で見た石田徹也の作品をどうしても生で見たくて2時間くらいかかる電車で平塚美術館まで父親に連れて行ってもらった。父とは一緒に出かけるようなことはほとんどなくなっていたのになぜかその時は素直に言えたんだな。平塚美術館は大きくて天井が高い良い場所だった。階段を上がった二階に石田徹也店がやっていて受付でチケットを渡して中に入った。少し温かみのあるゆったりとした照明だったのを覚えている。僕は一つ一つの絵の前で何十分もいた気がする。(その日はほとんど人がいなくて貸切のような感じだった。)ゆったりした空間に大きい絵が飾られていることに興奮した。石田徹也の絵以外に平塚美術館の所蔵作品が飾ってあった。その中で特に印象的だったのが佐々木豊の大きなバラみたいな花をつける気の絵だった、フレッシュピンクな感じが画面を駆け巡っていた。帰り道父親と何か喋ったっけ。ほとんど覚えていないけどすごく一日楽しかったのを覚えている。それまで美術館やら祖父母の家に帰省した時瀬戸内芸術祭に連れて行ってもらっていたけど初めて自分から美術に関わろうとした日だった。そんな日の僕は父親にどう写っていたんだろう。

 

 今日は(正確には酒を飲んで寝て起きて日を跨いだから昨日だが)多摩美に入って初めての講評の日だった。憧れていた作家にもあえて美大の特権を肌で感じていたが、一番はそこじゃなかった。こんな高い天井の場所で絵を飾れるんだな。僕は図々しくかなりのスペースを使って絵を並べた。人物の課題で僕は自分の顔をたくさん描いて中には親しい友人と母を描いた。大学が始まってから僕はアトリエに一番通っていたと思う。というか週6日ほとんど行かない日がなかったんじゃないかな?これは別に頑張っているアピールとかでは一切なくて天井が高くて広いスペースでかけるのが心地よかったんだ。毎日アトリエに行って他の人の描いている絵の進捗情報を手に入れながら広いキャンパスを歩いて風を浴びていたりした。多摩美はいいね、空気が綺麗な気がするし、窓から見える竹林が風で揺れているのがよかった。帰りのバスもトンネルをくぐるところが好きだ。昔祖父母の家に行くと車移動が当たり前だったからトンネルをくぐるときの赤い照明が好きだったことを思い出した。旅行している感がよかったんだろうな。

 

 講評日前日、僕はTwitterで展示してます!みたいなことを呟いたけど、よくよく考えるとあれは展示ではなくて講評のための展示だから「展示」という言葉を使って少しの期間飾ってあるものなんだなと思わせてしまった人にはこの場で謝罪をしたい。僕の気持ちは展示なんだ。大学の課題だろうと、講評のためだけの前日午後から当日午前だけのあっという間の時間だったけど展示だ。

 

 イーゼル以外に並べられた自分の絵が入ってくる人に見られて友達同士で感想言っている声が聞こえて嬉しかった。僕が自分のために始めた絵画制作が人に見せるものになったんだなと。一枚だけ見て僕の絵を見たという気持ちになって欲しくなくて、敷き詰めた。ランダムな大きさの配置も慎重に。それが見る人に伝わったみたいで嬉しかった。Twitterで感想言ってくれる人がいて励みになった。今までは散々先生に指導という形での絵への言葉をもらうことが多かったから、この絵が好きとか、この景色が良いとか。そういう話が聞けたのがすごく貴重だった。見てくれた人ありがとう。疲れたから寝ます。